最近の若者のネットリテラシーが低すぎる。教育における問題点とは

みなさんこんばんは。もけです。

もけ

最近の若者、ネットリテラシー低すぎんか?

っていうのが、今日の話です。ぼくもまだ若者の範疇にいると思いますから、おじいさんが「今の若者はけしからん!」と言ってるのとは違うはずです。(と、信じたい)

スマートフォンの普及とSNSの発達

現在大学生のぼくですが、そんなぼくが高校生の頃、いわゆる「スマホ」というものが市民権を得てきました。そして、その普及とともにだんだんと「LINE」やら「twitter」などのSNSと呼ばれるものも普及してきました。

ぼく自身は受験勉強もあって、誘惑の多いスマホを買うのは高校卒業してからにしようと、当時両親と相談した結果もあり、実際に最初にスマートフォンを買ったのは高校を卒業してからになるんですが、当時から多くの人がスマホを持っていたと思います。

高校を卒業して初めてスマホ、私の場合は「iphone5」だったんですがそれを購入して、いわゆるSNS、LINEとかtwitterを初めてやったわけです。

実際にLINEなんかはメールの代替品として、スピーディーで便利だなぁと思ったりしたものです。ぼくが本当にネットリテラシー低すぎんかって思ったのは、twitterを始めたときなんですよ。

 

ツイッター、実名でやってる人多すぎません?

 

世界中の誰でも見れるツイッターに実名のっけるとかコイツ一体何考えてるんだろう、って最初のころはずっと思っていました。だってアイコンを自分の写真にしている人だったら、もう全国テレビで日本中に発言してるのと変わらないのになんでだろうと、とても疑問に感じたのを覚えています。

 

こういうエピソードがあります。ぼくがツイッターを始めたとき友人がこのようなツイートをしてくれました。

友人「〇〇(ぼくの本名)ツイッター始めたからフォローしてあげてー」

って。

いや、うれしいけど、気持ちはうれしいけどな?

何のためにぼくが無い頭しぼってイカしたハンドルネーム考えたと思ってんだよ、と。

 

この際イカしてたかイカしてないかは置いておきますが(イカしてましたけどね)、全世界に自分の本名とアカウントが公開されたわけですよ。とても怖く思いましたね。

というより、私には彼らの感覚が分からなすぎて、そちらのほうが怖かったのかもしれません。

ぼくとネットの出会いについて

どうしてここまで感覚が違うのだろうと考えてみると、ネットとの出会いの時期が原因なんじゃないかと思いました。

ぼくは1994年生まれで、初めてネットに触れたのは小学一年生か二年生の頃だったと思います。

同世代にしてはおそらく相当早いほうで、母がパソコン関連の仕事をしていた影響があります。当時ようやくノートパソコンが普及してきたころで、父親のノートパソコンでよく調べ物をしていました。

その当時、小学生がパソコンを使うわけですから、当然両親は厳しく私に指導しました。流行っていたオンラインゲームなんかもやっていましたから、想定されるトラブルなんて星の数ほどありましたしね。

「名前や住所を載せるな。怪しいサイトに登録するな。何かあったら隠さずすぐに言え。」

どれも当然のことですが、小学生だった私にはネットは少し特別な場所だったんですね。まわりは大人ばかりでしたし、ある意味緊張しながら毎日触れていたんですよ。だからこれらのことを破ったことはありませんでした。

※なお、とある種類のサイトを見たいがあまり踏んでしまった高額架空請求の通知?が表示されつづける恐怖の中冷静に対処したこともあります。サイトの種類は御想像にお任せいたします。

と、今になってはいい思い出ですが、両親の適切な指導のおかげで何も問題を起こすことなく少年時代を過ごすことが出来ました

親の知らないところでスマホでネットをはじめた世代

では、ぼくと彼らにはどのようにしてこの差が生まれたのかを考えてみます。

そうするとやっぱり全部スマートフォンの登場なんですよね

以前、大学生の友人と話していて驚いたことがあります。

両親はいまだにガラケー」「家にパソコンがない」という話を、結構な割合で聞くんですね。

ぼくが通っている大学はそこそこの有名大学なので、両親の知的水準や教育水準は高い部類だと思うんですが、こういった話はふつうに聞きます。

そういう環境にある人がスマートフォンの流行とともにネットを身近なものにしたときに、ネットリテラシーというものが軽んじられてしまうのかな、と思いました。

もちろん、個々でちゃんとした意識を持ち考えている人もいっぱいいるでしょう。でも、こういうリテラシーの悪いところは、下に引っ張っちゃうことにあると思うんですよね。

相手が実名を出してツイートをして、それが多数になるとコミュニティの中で自分だけそういうものを隠してコミュニケーションをとることは結構難しいと思うんですよ。「なんで変な名前にしてるの?」とか聞かれることもあるでしょう。

 

基本的に内輪で悪いことをせず遊んでいる分にはこういう環境でも大丈夫なんでしょうけど、何かやらかしたときは大変ですよね。

ツイッターで話題になったような事件と言うんでしょうか。ネットというものが何か分かっておらず、友達との共有の場程度にしか考えていない人がそういう事件を起こしてしまうんですね。まさにネットリテラシーについて教えられていない子どもたちがそういう炎上の裏にいるわけです。

教育の果たす役割が重要

最近、何から何まで学校の責任を追及する声ってあるじゃないですか?

親がやるべきしつけを学校に求めてるような声もチラホラ聞いたりします。その程度のしつけが出来ないような親だからそんなこと言ったりするのかもしれないですけれどね(笑)

でも、ネットリテラシーに関しては少なくとも学校側からも働きかけないといけないと思うんですよ。もちろん、家庭内でそういう教育が出来るのがベストではあるんですが、ガラケー世代の親やネットにほとんど触れなかったり、先ほどぼくが言ったような感覚でSNSをやっているような親に育てられては、きちんとしたリテラシーは身につかないと思うんですよ。

冷蔵庫に入ってネットに画像を上げた、そんなくだらないことで人生終わりなんてもったいなさすぎますよ。せっかく何にでもなれた人生なのに。もちろん、何とでもなりますが大遠回りには違いありませんよね。

こうなってくるとネットの進歩、普及速度なんかが現場の対応力を遥かに超えていっているというのが現状なんですかね。となると現場で正規の手順を踏んでたらそんなの間に合うわけないので、教師の個々の機転で何とかうまくやっていただくしかないのかな、と。こうしてまた教師の負担は重くなり…給料が下がると。

そんなことを考えた20代の夜でした。ありがとうございました。

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