なぜ高学歴は「勉強しか出来ない」と言われるのか。

みなさんこんにちは。もけと申します。

なぜ高学歴は勉強しか出来ないと言われるのでしょうか。

ぼく、これめちゃくちゃ気にくわないんですよね。実際にぼくが勉強しか出来ない高学歴だからというのは全く関係ないので置いておきますが、とにかく腹が立つんですよ。全く関係ないんですけどね。

ということでこの記事では、「なぜ高学歴は勉強しか出来ないと言われるのか」ということを明らかにした後に全力でディスりたいと思います。いくぜ!

スポーツ選手に「スポーツしか出来ない」とか言わないのにね

例えばプロ野球選手、ここではぼくの同級生の大谷選手を例にあげさせてもらいますね。大谷選手に対して、「大谷は野球しか出来ないからなぁ」「野球以外何にも出来ないからアイツ」という表現の仕方をする人っていないですよね。

そりゃあね、さすがにダサすぎますよ。ダサすぎる。野球だけで数十億稼げるような超一流プレイヤーに対してそんなこと言っても、「その野球で数十億稼いでるんだが?」の一言でノックアウト間違いなしです。でもみんなさすがにそれは分かってるんですよ。だから言わない。

じゃあなんでこの例えを出したかというと、大谷選手みたいな超一流プレイヤーに対してだけでなく、例えば高校球児に対しても「野球しか出来ない」という評価のされかたはほとんどされないんですよね。

むしろ、「野球に打ち込んでいる素晴らしい青年」という評価のされ方の方が多いんですよね。もしも甲子園出場校のチームのメンバーだったとでも言おうものなら、「この子は野球をずっと頑張ってきたうえに、とても上手い子なんだ」なんて超高評価が下されるわけですよ。

勉強とスポーツの違いとは一体何なのか

スポーツというのは、ものにもよりますがかなり才能レベルの世界です。

例えば、ぼくが幼少期からマイケルチャンと松岡修造の熱血指導のもと毎日テニスを10時間練習したところで、きっとグランドスラムは達成出来ないし、それどころか日本ですら勝てるかどうかもかなり怪しい。

はっきり言って、スポーツは成績面においては努力なんてそれほど意味をなさないです。地方大会ベスト16からベスト8にはなることは出来るかもしれませんが、いくら努力しても凡人が世界一になるどころか、日本トップクラスになることすら出来ません。だからこそ、私たちはスポーツが出来るひとに対して尊敬の念をもって接することが出来るわけですね。

一方の勉強はというと、甲子園に出場するよりも難しいと言われる東大生レベルになったとしても「勉強しか出来ないモテないヒキオタ陰キャニート」なんて言われちゃうわけです。理不尽極まりないコレ。

では一体どうして勉強が出来ると「勉強しか出来ない」と言われるのに、スポーツだとそうはならないのか。

たぶん、この根底にあるのは「勉強なんてやれば出来る」という考えなんですよ。

そして勉強が出来る人は「やれば誰にでも出来る勉強しか選ぶ道がなかった人間」だと認識しています。

ね?図星でしょ?絶対そう思ってるでしょ?

「あとちょっと勉強してれば余裕で東大行けた」とか「学歴なんて意味ないから敢えて勉強しなかった」とか思ってるんでしょ?

勉強なんてやればだれでも出来るようになると思っていて、自分は勉強が好きではないだけで、頭も良いし努力さえすれば勉強は出来るようになると思い込んでるんでしょ?

うん、半分は正解です。

そうなんですよ。勉強ってある程度まではやれば出来るようになるんですよ。勉強においては、基本的にやり方を間違えなければ努力は裏切ることはありません。勉強はすればするだけ成績は上がっていきます。

この性質こそが、今日の社会でこれほど学歴が重視されることの一因を担っているわけです。学歴があるということは地頭が良いか、もしくは努力が出来ることの証拠になっているわけです。どちらも仕事をする上でとても重要なことですね。

ただね、勘違いしてほしくないのは「やれば出来る」と「やって出来た」は全く違うんですよ。

やれば出来るとやっていて出来るは全然違う

さて、先述したように勉強は「やれば出来る」性質のものであるのは確かです。

ところで、ぼくが高校時代に恩師に頂いた言葉で一番気に入っている言葉があります。当時のぼくは200人近くいる同級生の中で、下から数えた方が早いくらいの成績でした。そしてぼくも全く同じことを思っていたんです。「自分は勉強をしていないだけで、やれば普通に上に行ける」と。

そんなぼくを見抜いていたんでしょうか。そんなぼくに当時の担任がぶつけてきた言葉があります。

「やれば出来る?違う。やらないと出来ないんだ。この学校にすら、やらなくて出来ているやつなんかいくらでもいる。やらなくては出来ない程度のレベルのくせして、さらには自分は努力すら出来ませんと周りに触れ回っているようなものだと何故気付かないのか。」

今思い返してもむかつきます(笑) 当時は本当にむかつきました。めちゃくちゃ痛いところついてくるんですもん。何にも言い返せませんでした。

ただね、本当にその通りなんですよ。やれば出来る人と実際にやっている人の間には天と地の差があるんですよね。誰だってやろうと思えば1日5キロくらいなら走ることが出来るでしょう。しんどいけど(笑) ただ、それを毎日10年間続けろって言われるとほぼほぼ無理だと思います。

このように、継続ってものすごく価値のあることなんですよ。

「本当に勉強しか出来ない人」としか接する機会がない

大分隙が出来たのでここで唐突な自分語りに突入しますが、ぼくは中高大学とずっと進学校に所属してきました。

その中で感じたことですが、やっぱり進学校においては「勉強出来るやつ=カッコいい」なんですよね。ここが一番みなさんのイメージと異なるところかもしれませんが、本当に勉強が出来る人ってみなさんがイメージするガリ勉みたいな人ってあんまりいないんですよ。

そもそも、なぜ東大生=勉強しか出来ないガリ勉みたいなイメージがはびこっているのかというと、彼らの多くは男子校出身者が占めるからです。もちろん男子校でも彼女いるイケてる学生なんていくらでもいますが、やはり異性の目がないと見た目に気を遣いませんからね、そりゃ眼鏡で髪ぼさぼさチェックシャツになりますよ。

そういう彼らの「見た目のガリ勉イメージ」が勝手に「勉強しか出来ないイメージ」に変換されているんですね。彼らは勉強しかしてこなかったからあのような見た目なのだという認識に変わっているということです。

周りの環境の与える影響はとても強いです。東大生だから陰キャなのではなく、まわりに陰キャしかいないから陰キャなんですよ。慶應生も早稲田生も母体はそこまで変わらないです。違うのはまわりの環境だけで、垢ぬけてる先輩に合わせてあか抜けた人が次の先輩になり、その人を見てあか抜けるわけです。

さて、本題に入ります。

綺麗ごとはさておき、実際に勉強しか出来ない人はいます。一生懸命学生時代は勉強して、高学歴と言われる大学に入学したものの、コミュニケーション能力や頭の回転に欠ける人は実際にいます。

そして、「高学歴は勉強しか出来ない」という意味の分からんことを言う人たちと接する可能性があるのはその人たちなんですよ。考えてみたら簡単ですけど、優秀な学生はそんなことを言うレベルの低いひとたちと一緒に仕事することはありません。優秀な人たちで集まっているわけですから、そんなこと言うひとは現れない。

そのような高学歴の人たちの中の一番下のレベルの人を見て「高学歴は勉強しか出来ない」って言ってるわけです。

それ、ヨーグルトの上澄み液飲んでヨーグルトまっずいわって言ってるのと変わんないですからねw

まとめ

今回のテーマ、なぜ高学歴は勉強しか出来ないと言われるのか、に対するぼくの答えをまとめてみます。

  • (勉強は誰にでも出来るので)「勉強が出来る人=勉強以外の選択肢がなかった人間」と認識している
  • 高学歴の人の見た目のガリ勉イメージが勉強しか出来ないと変換されて認識している
  • 本当に勉強しか出来ない高学歴の人としか接する機会がない

 

これらからも分かるように、高学歴は勉強しか出来ないと言っている時点で「自分は誰にでも出来る勉強においてすら努力を続けることが出来ない人間なうえに、優秀な高学歴と接する機会すら持てない程度の能力しか持たないうえに、自尊心だけは強い」と言っているようなものです。

とっても恥ずかしいことだと認識して、ぜひ改めて頂けたらと思います。

以上もけでした。ありがとうございました。